最高裁裁判官の国民審査アンケート(その1) | le Quatorze Juillet

最高裁裁判官の国民審査アンケート(その1)

主要紙に掲載されていたアンケート回答を再構成してみました。

特に朝日新聞のは、各裁判官の回答を読み比べてみると、微妙な差が浮き上がってくるような気がしました。


(1)死刑制度の是非についてどう考えるか ★中川氏が一歩踏み込んでいますね。 

古田 国民の選択に委ねるべきだ。

中川 国民が決めるべきことで、終身刑の是非も検討されてよい。

堀籠 我が国の歴史や国民感情を踏まえ、国民が決定するべき重要な立法政策の問題。

今井 国民の意見に従うべきだ。

津野 国民が最終的に決める問題。

才口 現行の法体系と国民の選択に委ねるべき問題。


(2)衆院選、参院選の議員定数配分規定の合憲性、「1票の格差」の問題で、何を重視し、どのような筋道で考えるか。 ★中川、才口両氏の歯切れがいいですね。


古田 個別の案件にかかわる可能性のある質問で、意見は訴訟での検討を経た上で裁判において明らかにすることが適当と考えるが、日本国全体としての政策決定のためにどのような代表制度が適切かという問題と、個人の参政権の実質的保障のバランスの問題だと考える。

 

中川 代表民主制の下では投票価値の平等が最も重要。種々の要因で不平等が生じる場合にその合理性があるかどうかで判断。

 

堀籠 意見は差し控えさせていただく。 

今井 意見を差し控えさせていただきたい。 

津野 回答を差し控えたい。 


才口 国政参加の資格と権利は平等であることは当然。


(3)名誉棄損訴訟やプライバシー侵害訴訟で、表現・報道の自由と名誉・プライバシーなどの人格権とをどう調整すべきか。 ★「民主主義」とか「民主制のプロセス」といった言葉はもはや死語なのでしょうか。


古田 個別の案件にかかわる可能性のある質問で、意見は訴訟での検討を経た上で裁判において明らかにすることが適当と考えるが、多くの人にとって直接事情を知ることができる場合は少なく、通常は間接的に報道などを通じて知ることとなる社会で、一度事実と異なる報道などがされると、それによって生じた多数の人の認識や印象を訂正する方法が乏しいことが一つの背景としてあるように思う。 


中川 いずれも憲法上保障・保護された権利であると考えるが、圧倒的な社会的影響力を有する報道機関には人権尊重の観点から、より慎重な態度が求められるものと思う。 


堀籠 報道内容が真実でなくかつ真実であると信じるに足りる相当の理由のないときは、表現・報道の自由は問題にならないと思う。報道内容が真実であるときまたは真実ではないが真実であると信じるに足りる相当の理由のあるときは、報道内容の公益性の程度と侵害された人格権の程度などを総合勘案して判断すべきものと考える。 


今井 表現・報道の自由も人格権もともに憲法上の重要な権利であるから、いずれが優越するというものではなく、具体的事案に応じて、その調整を図る必要がある。 


津野 大変難しい問題と思うが、それぞれの法に基づき、判例の考え方も踏まえケース・バイ・ケースで判断するしかないと思う。なお、表現、報道の自由が民主主義の基盤であることなどにかんがみれば、その規制は、十分慎重でなければならないと考える。 


才口 情報過多社会における表現・報道の自由と人格権の調整役。