le Quatorze Juillet
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2つの靖国訴訟

先週、首相の靖国参拝をめぐる訴訟で、2つの高裁判決が出ました。


「首相の靖国参拝は私的行為」 千葉の住民の控訴棄却

http://www.asahi.com/national/update/0929/TKY200509290217.html


 >高裁は「神社への往復に限れば職務に関連した行為といえるとしても、参拝した一連の行為が全体として職務として行われたとまではいえない」と述べた。


 なんじゃそりゃ? という屁理屈で、「棄却」派からも評判が悪いようですが、

この判決の味噌は、「公式参拝なら違憲」と言っていることでしょう。

 最高裁に行けば屁理屈の部分は破られ、後者はそのまま認められるのではないか? とすら思えます。


 この判決、その昔、最高裁総務局長から新潟家裁所長に飛ばされた浜野氏が裁判長、

東京地裁裁判長や最高裁行政調査官室時代に、一部で「放屁」(あれ?字が違うかも)とも呼ばれたT氏が

右陪席のようです。

 合議の過程が知りたいですね。



「首相の靖国参拝は違憲」大阪高裁判決、賠償は認めず
http://www.asahi.com/national/update/0930/TKY200509300136.html


 浜野氏と同期(23期)の大谷氏が裁判長です。


 例によって「蛇足」批判が相次いでいます。

 原告側は是非上告してもらいたいものです。


 


最高裁裁判官の国民審査アンケート(その3)

これでとりあえず終わりです。


 (7)大きな税務訴訟が増えている。憲法の租税法律主義の精神をどう生かすか。

 ★この質問には、ほかの質問でノーコメントを決め込んでいる人も結構踏み込んで答えていますね。なぜでしょう。


 古田 それぞれの事件の事案を踏まえて考える。

 中川 憲法上の原則であるから順守すべきは当然であり、法の不備は立法府の問題と割り切るべきものと思う。

 堀籠 税務当局において法律の明文に基づく課税であるとの立証が必要であり、その立証がない限り憲法の趣旨に反するとの立場から審理すべきものと考える。

 今井 常に新しい形の取引が生じ、既存の税法とのずれが生じている。そのすき間については、租税法律主義の精神を尊重しつつ、事案に即した判断をすることになる。

 津野 租税法律主義の精神を尊重することは当然。個別の具体的事件についてどう生かすかは、結局ケース・バイ・ケースで考えていくことになる。

 才口 国の存立との相対的調和。


 (8)司法の行政チェックを活性化する行政事件訴訟法改正が実現した。今後の司法と行政の関係のあり方は。 ★なかなかみなさん積極的ですね。


 古田 行政と司法は役割や判断方法に違いがあり、その点を踏まえた対応が必要だが、個人の権利・利益を守るための手続きや要件に合致しているかどうかについてチェックすることは裁判所の重要な役割と考えている。

 中川 三権分立制度は歴史的に民主的国家では不可欠な制度だ。行政チェックは司法の重要な役割であり、今後も強化される方向になると思う。

 堀籠 司法による行政のチェックは、行政実体法がどのような要件を課しているかにかかると思う。法が大幅な裁量権を行政に与えているときは、司法によるチェックはかなり難しいが、法による行政を実現するために具体的な要件が定められれば、司法によるチェックはやりやすくなると思う。

 今井 行訴法などが整備されたので、その適切な運用によって、行政に対するチェック機能が果たせると考える。

 津野 行政機関による事前規制の整理合理化などにより、司法機関などの判断に基づく処理の場面が増すと考えられる。そういった意味で、司法の判断が行政に及ぼす影響は従来より大きくなると予想される。このことは、行政の裁量を狭め、透明性の向上という面で、好ましい影響が出るのではないかと思うが、他方、司法の判断の迅速性、統一性が更に求められるようになると思われる。

 才口 相互の牽制(けんせい)と協調が肝要。

 
(9)靖国神社参拝の経験、予定は?

 ★意外にみなさん参拝してますね。古田さんの明快さが気持ちいいですね。

 古田 参拝したことも、予定もない。

 中川 参拝経験はある。他の神社仏閣に参拝するのと変わらないので、今後も参拝はあり得る。

 堀籠 初詣でに行ったことはあるが、公的な立場での参拝は全く考えていない。

 今井 旅行などの際に各地の神社やお寺に参拝するのと同様、参拝したことはある。公的な立場での参

拝は全く考えていない。

 津野 参拝したことはあるが、今後の予定はない。

 才口 弁護士時代に参拝した経験はあるが、当面は参拝の意思も予定もない。

最高裁裁判官の国民審査アンケート(その2)

続きです。


 (4)家族のあり方をめぐる司法判断が注目を集めている。非嫡出子(婚外子)の法定相続分を嫡出子の半分とした民法の規定の合憲性は。

 古田 個別の案件にかかわる可能性のある質問で、意見は訴訟での検討を経た上で裁判において明らかにすることが適当と考えるが、婚姻を基礎とする共同体としての家族のあり方や財産の帰属に関する一般の認識と、婚外子の利益の調整の問題と思う。

 中川 意見は差し控える。ただ、国際連合の人権委員会から民法を含む法改正のための勧告がなされていることをふまえて立法的解決を期待したい。

 堀籠 意見は差し控える。この問題は、立法的解決が一番望ましいと思う。

 今井 意見を差し控えさせていただきたい。

 津野 回答を差し控えたい。

 才口 自分の意思ではどうにもならない出生により取得する社会的身分による差別は違憲。


 (5)憲法の政教分離原則をめぐる訴訟の審理では、どんな筋道で考えるか。

 古田 個別の案件にかかわる可能性のある質問で、意見は訴訟での検討を経た上で裁判において明らかにすることが適当と考えるが、基本的には一般的な社会慣行として許容される範囲にとどまるものかどうか、あるいは合理的な非宗教的目的かどうかということだと思う。

 中川 現憲法は、信教の自由の保障を強化するための手段として政教分離を制度として保障したものと解する。国家と宗教との分離にも一定の限界があり、許される行為かどうかの判断には目的効果基準を用いるのが妥当と思う。基準の適用に当たって緩やかになりすぎないかに留意する必要がある。

 堀籠 意見は差し控えさせていただく。

 今井 意見を差し控えさせていただきたい。

 津野 回答を差し控えたい。

 才口 事件に即応して政教分離原則などを検討し判断する。


 (6)企業買収や合併が活発化し、株主と、経営者や債権者などの利益が衝突する法的紛争が増えると予想される。両者のバランスをどうとるべきか。


 古田 個別の案件にかかわる可能性のある質問で、意見は訴訟での検討を経た上で裁判において明らかにすることが適当と考えるが、ご指摘の利害だけではなく株主間の利害にもかかわる面があり、様々な角度から検討すべき問題と思う。

 中川 法律の整備がなされていない現状では、個々の事件で具体的妥当性ある判断をするという以外にない。

 堀籠 意見は差し控えさせていただく。

 今井 企業の社会的責任を念頭に置きつつ、具体的な事案に応じて判断をすることになる。

 津野 企業買収や合併の目的、企業の規模、業種、経営内容など具体的な事項を抜きにして、一般論として答えることは難しいと考える。

 才口 行政的解決と司法的解決の利害得失を判断基準とする。

最高裁裁判官の国民審査アンケート(その1)

主要紙に掲載されていたアンケート回答を再構成してみました。

特に朝日新聞のは、各裁判官の回答を読み比べてみると、微妙な差が浮き上がってくるような気がしました。


(1)死刑制度の是非についてどう考えるか ★中川氏が一歩踏み込んでいますね。 

古田 国民の選択に委ねるべきだ。

中川 国民が決めるべきことで、終身刑の是非も検討されてよい。

堀籠 我が国の歴史や国民感情を踏まえ、国民が決定するべき重要な立法政策の問題。

今井 国民の意見に従うべきだ。

津野 国民が最終的に決める問題。

才口 現行の法体系と国民の選択に委ねるべき問題。


(2)衆院選、参院選の議員定数配分規定の合憲性、「1票の格差」の問題で、何を重視し、どのような筋道で考えるか。 ★中川、才口両氏の歯切れがいいですね。


古田 個別の案件にかかわる可能性のある質問で、意見は訴訟での検討を経た上で裁判において明らかにすることが適当と考えるが、日本国全体としての政策決定のためにどのような代表制度が適切かという問題と、個人の参政権の実質的保障のバランスの問題だと考える。

 

中川 代表民主制の下では投票価値の平等が最も重要。種々の要因で不平等が生じる場合にその合理性があるかどうかで判断。

 

堀籠 意見は差し控えさせていただく。 

今井 意見を差し控えさせていただきたい。 

津野 回答を差し控えたい。 


才口 国政参加の資格と権利は平等であることは当然。


(3)名誉棄損訴訟やプライバシー侵害訴訟で、表現・報道の自由と名誉・プライバシーなどの人格権とをどう調整すべきか。 ★「民主主義」とか「民主制のプロセス」といった言葉はもはや死語なのでしょうか。


古田 個別の案件にかかわる可能性のある質問で、意見は訴訟での検討を経た上で裁判において明らかにすることが適当と考えるが、多くの人にとって直接事情を知ることができる場合は少なく、通常は間接的に報道などを通じて知ることとなる社会で、一度事実と異なる報道などがされると、それによって生じた多数の人の認識や印象を訂正する方法が乏しいことが一つの背景としてあるように思う。 


中川 いずれも憲法上保障・保護された権利であると考えるが、圧倒的な社会的影響力を有する報道機関には人権尊重の観点から、より慎重な態度が求められるものと思う。 


堀籠 報道内容が真実でなくかつ真実であると信じるに足りる相当の理由のないときは、表現・報道の自由は問題にならないと思う。報道内容が真実であるときまたは真実ではないが真実であると信じるに足りる相当の理由のあるときは、報道内容の公益性の程度と侵害された人格権の程度などを総合勘案して判断すべきものと考える。 


今井 表現・報道の自由も人格権もともに憲法上の重要な権利であるから、いずれが優越するというものではなく、具体的事案に応じて、その調整を図る必要がある。 


津野 大変難しい問題と思うが、それぞれの法に基づき、判例の考え方も踏まえケース・バイ・ケースで判断するしかないと思う。なお、表現、報道の自由が民主主義の基盤であることなどにかんがみれば、その規制は、十分慎重でなければならないと考える。 


才口 情報過多社会における表現・報道の自由と人格権の調整役。



最高裁裁判官の国民審査(その3)

昨日あたりから、新聞各紙にもアンケートが載り始めました。
今のところ目についたのは、昨日の毎日新聞朝刊と
今日の朝日新聞朝刊です。
日経にはだいぶ前に載っていたような気もします。

条件決議型ワクチン・プラン

私の手元にはきょう届いた商事法務1739号に、標記の記事が載っています。
一読して「なるほど」と膝を叩いたものの、なんかだまされているような気もするので、精読してみます。

最高裁裁判官の国民審査(その2)

「ろーやーずくらぶ」

http://yaplog.jp/lawyaz-klub/archive/591

では、次のように書かれています。

 「才口裁判官は、問題の多い第一小法廷で、泉裁判官のように気骨のある反対意見も書くこともありませんでした。間違いなく、×。
 古田裁判官は、就任したばかりですが、検察官時代に治安強化の先頭に立ってきた実績があるので、これも、×。
 第二小法廷の4裁判官については、投票日までに検討しておきます。たぶん、×でしょうけど。」

 才口さんは、非嫡出子の裁判では、泉さんと同じ立場で格調高い反対意見を書いたこともありますが、その後は泉さんに乗ったことはあまりないように記憶しています。まあだれもが常に泉さんと同じである必要はないし、泉さんは泉さんでもっと多数をとれるように努力すべきだとは思うのですが、それにしても泉さんが孤軍奮闘している感は否めませんよね。それに比べ、横尾和子さんの「独走」を第一小法廷のほかのオジサマ方(才口さんを含めて)は許しているように見えますよね。それをどう評価するか、ということです。

 古田さんはご存じ、「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律」(いわゆる盗聴法というヤツです)の「生みの親」ですね。増田さんが上のように言うのは理解できるところです。

最高裁裁判官の国民審査

最高裁の6裁判官、国民審査へ↓

http://www.asahi.com/national/update/0808/TKY200508080146.html



廃止論が常につきまとう国民審査ですが、
いかに実質化するかが先決でしょう。

その意味では、今や下火になった「×をつける運動」なども
一定の意味はあるように思います。

試みに「最高裁」&「国民審査」でググると、たいていは古いものばかり。
今回の国民審査について触れているものとしては、

最高裁裁判官全員に×をつけよう
http://share.dip.jp/hannichi/gomi/batsu.html



国民審査のオカズ
http://homepage2.nifty.com/misoshiru/mg/judgedata.htm



などが目につく程度でした。
上記2つはかなり角度がついていますが、内容自体はなかなか参考になります。

最高裁ウォッチャー
http://www.ilc.gr.jp/saikousai/index.html



の更新も待たれるところですね。

大阪靖国訴訟

靖国訴訟で大阪高裁、憲法判断示さず↓


http://www.asahi.com/national/update/0726/OSK200507260065.html



高裁段階では初めての判決ということです。


最高裁が楽しみになってきましたね。




麻原公判の「正常化」を


オウム松本被告弁護団が公判停止を申請↓


http://www.asahi.com/national/update/0729/TKY200507290356.html



ふつうの刑事裁判だったら、最低限、鑑定は実施するケースでしょう。

ところが東京高裁は

被告人には30分会っただけで「問題ない」と判断(医師のつもりなんでしょうか)。

その際の様子は上の記事によると、「青いシートを敷いての面会」という

正常な被告人では考えられないものだったようです。


そのうえ、控訴趣意書の提出期限を今年8月末(以前は今年1月と言っていた)と区切り、

被告人と意思疎通できない弁護人に提出を迫る、という

鬼のような所業に出ています。


ちょっと立ち止まって考えようとすると、すぐ「裁判の長期化」の大合唱を始める

一部(全部?)マスコミに責任の一端があるのは間違いありませんが、

この際、東京高裁も理性を取り戻して「正常化」してみてはどうでしょうか。

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